ワクチンパスポートをめぐるエトセトラ
はじめに
先日、「第1回デジタル社会推進会議で、新型コロナウイルスのワクチン接種を公的に証明するワクチンパスポート(いわゆるワクチン接種証明書)を12月にもオンラインで発行する方針を決定」というニュースが流れましたが、「本当かなぁ」というのが最初の感想でした。「本当かなぁ」という言葉には、いくつかの意味合いが込められていますが、主なものだと
- 医学的・科学的な観点からは、持続可能なパスポートというのは考えにくく、発行することにどれほどの意義があるのだろうか?
- 12月というと3ヵ月を切っているが、そんな短期間でスマホに導入できるようなアプリを(国が)開発できるとは思えない
というものです。
持続可能なワクチンパスポートはありえない
まず1点目ですが、一般的に「パスポート」というと最初に思い浮かべるのは、海外渡航には必須のあの「一般旅券」ですね。5年や10年の有効期限がありますが、猛威をふるったデルタ株をみても、2回のワクチン接種でそんな年単位の有効性が担保されるとは、もはや誰も思っていないでしょう。来年には3回目の接種という話もありますが、それでもその先、年単位で安心感が得られるとはなかなか思えないのではないでしょうか。「有効期間はワクチン2回目接種後から3ヵ月です。それ以降は無効になりますが、1年以内に3回目を接種すると、その時点から6ヵ月間有効になります。」のような証明書をわざわざパスポートと呼ぶでしょうか(追記:後から記事を見つけましたが今イスラエルがまさにこのような状態のようで)。そもそも、「ワクチンパスポート」という呼称は、なんとなくディズニーランドでいうところのファストパスみたく優先券のイメージと結びつけられる可能性があり、「ワクチンパスポートを所有している人は感染しにくいだろうし、ましてや他人にうつすことはないだろう」と考える方もいるでしょう。本当にそうでしょうか?
ブレークスルー感染を軽んずべからず
このワクチンパスポートを検討する際には、「ブレークスルー感染」の影響を無視するわけにはいきません。ブレークスルー感染とは、ワクチン接種後にワクチンのターゲットとしていた病原体に感染してしまう(病原体に免疫機構を突破されてしまう~ブレークスルー)ことで、身近なところだと、インフルエンザのワクチンがそうですね。打ってもインフルエンザにかかって発症する方は必ずいますね。新型コロナでは、ワクチン2回目の接種を終えて、2週間後に十分な抗体産生が期待されることから、それ以降に感染した場合をブレークスルー感染と呼ぶことが多いです。詳しくは、厚労省のこのコラムが分かりやすいかと思います。で、このブレークスルー感染ですが、ワクチンを2回打ち終えて、ワクチンパスポートを入手した方々が、新たな感染源になる可能性が示唆されており、国立感染症研究所のレポートによくまとまっています。具体的には、デルタ株感染者において、ワクチン既接種者と未接種者でのPCR検査で同等のCt値が得られたとの報告が複数あることから、一時的にせよ、ワクチン既接種者でも未接種者と同じ程度の新型コロナウイルスを体外に排出している期間が想定されるわけで、(症状がないか、あっても軽度で済む傾向にある)ブレイクスルー感染者(ワクチン既接種における感染者)が、ある程度自由に活動することで、スーパー・スプレッダー(多くの人々に感染を広げる感染伝播者となること;無症状ゆえに意図せず感染を拡げるという意味では「サイレント・スプレッダー」とも言います)になったりしないだろうかという懸念も湧きます[別の参考記事:nature「デルタ株はワクチン接種完了者からも広まる」]。
この手の懸念は、とどのつまり、流行する新型コロナの変異型の毒性(Virulence)次第という側面があり、この不確実性が、ワクチンパスポートを持続可能なものにしがいたい要因のひとつになっているかと思います。この、人類が新型コロナに翻弄されている感じは実に歯がゆいものがありますが、現状そうなっています。
PCRによる陰性証明の方が実用的?
他者への感染性という観点からは、ワクチン接種証明書よりも、むしろ直近での陰性証明書の方が安心感はあります。現状、陰性証明といえば、PCR検査の結果が陰性であることと同義で、まぁPCR検査で陰性なら他人へうつすことはないよなぁ、とは思います。ただ、PCR検査の問題点は、誰もが簡単に迅速に、好きなときに受けられる検査ではないということです。仮に「アルコール提供の飲食店への入店には24時間以内のPCR検査での陰性証明が必要です」というルールがあったとしても、現行のPCR検査体制でそのルールを運用するのは非現実的と言わざるを得ません。
今後、PCR検査と同等の精度を持つような唾液ベースの抗原検査が出てきて、好きな時にいつでも受けられるということであれば、そういうものでの陰性証明が「パスポート」としての有効な代替手段になるとは思います。さらに進んで、スマホで自分の喉の写真を撮影、AIによる画像診断で新型コロナに感染している確率をかなり正確に診断するとか、スマートウォッチで日々の体温や脈拍、心電図をモニターし、その変化でAIがコロナ感染を診断するとか、コロナに感染している時に出る「体臭」あるいは「尿」や「吐く息」で簡単に判定できる、あるいはサーモグラフィの温度分布からコロナに感染している人を高確率で見つける等々、その手のかなり精度の高いAI診断ベースの技術が出てくれば、その場で陰性証明ということが可能になるかもしれませんが、そういう未来はいつになることやら。
ワクチンパスポートのアプリ開発は容易ではないだろう
次に2点目。実は、海外渡航用の「新型コロナワクチン接種証明書」というのはすでに実務化されていて、ワクチンを接種した自治体で発行することが可能ですが、あくまで海外渡航用であり、渡航先の防疫対応の緩和をねらってのものですし、紙ベースです。
これから検討されるであろうワクチンパスポートですが、この海外渡航用の「新型コロナワクチン接種証明書」の延長線上にあるのは間違いないでしょうが、全く別のものとして捉えるのが良いでしょう。何せ、デジタル社会推進会議で出てきた話題のようですし「デジタル化」というのがポイントのようで、要はスマホのアプリで簡単に画面表示出来るような代物でしょうか。既存の、海外渡航のためのワクチン接種証明書の発行をスマホで完結させるという使い方もあるとは思いますが。
「接種証明」の実装方法は色々あると思いますが、思いつくのは、アプリのインストール時に制限をかけて、本人が確かに接種したと示せる物理的なものがないと、そもそもインストール出来ないとか、あるいは、インストール自体には制限がなくて、例えば、本人の接種情報と紐付いたQRコードが表示できるようになるまでに制限をかけるとか。本人の接種情報の正当性は、VRSのデータベースとの紐付けが可能ならば、それを利用するのが良さそうですが、そんな簡単な話ではないでしょうねぇ。仮にQRコードみたいなものが表示されるとして、それの読み取りは、各店舗で(?)どう対応するのか、そもそも、そんな一見スマートそうなQRコード表示は不要で、「私は、何年何月何日に2回目のワクチン接種を打ち終えてました。」のようなテキストがアプリの中で表示されるだけでも良いのではないか、でもそれだと、偽装するようなアプリも出てきそうだ等々。
とまぁこんな感じですので、この手の個人認証も絡むアプリを国がいとも容易くかつ短期間で開発できるイメージがありません。ベータ版などで動作検証をしてもらうといったデバッグ期間も必要となるでしょうし。
別件ですが、COVID-19関連の国産アプリといえば、COCOAが挙げられると思いますが、これがすごく活躍しているシーンを私はまだみたことがなく(一応、自身のスマホにはインストール済ですが)、そもそも通知機能が作動してなかったというニュースもありましたねぇ。ちなみに当院では、このCOCOAアプリで接触通知を受けた方々に公費でPCR検査を実施してきましたが、これまで一度も「陽性」と判定された方はいません。「陰性」の結果自体は喜ぶべきことではあるのですが。
と、ここまで書いて、新設されたデジタル庁でこの辺りの構想を調べてみようと公式サイトを訪ねてみましたが、どうも冒頭の9月6日開催のデジタル社会推進会議の概要をみても、ワクチンパスポートに関連する内容を見つけることが出来ず…。きっと私の探し方が悪いのでしょう、それならばと公式サイトを検索しようと思いましたが、検索の実装はまだなのか、少なくとも9月11日時点では、いわゆる検索窓を見つけることは出来ませんでした。IT関連も強いはずのデジタル庁ですので、早々に実装してくるとは思います。
それでも前に進む必要はある
なんだか否定的なことばかりを書いてきたように思いますが、個人的には、そういう試みは十分にやってみる価値はあると思っています。このワクチンパスポート、海外ではすでに実装している国々もあり、イスラエルでは「グリーンパス」というワクチン証明のシステムが世界に先駆けて導入されましたし(まぁ流行株がデルタ株に置換してからは…という感じではありますが)、イタリアでも今年8月にワクチンパスポートの提示が義務化されたというニュースもありました。なぜワクチンパスポートが必要かというと、このコロナ禍で停滞している経済を回すためです。ワクチンパスポートをうまく運用することで、コロナの感染拡大の防止と経済活動の再開を両立させたいという国の思いがあるわけです。これは十分に理解できることです。当初は、従来の感染症がそうであったように、新型コロナもそのうち収束するだろうから「After Corona~コロナ収束後」を見込んで手はずを整えよう、という目論見を誰もが抱いていたと思います。ところが1年が過ぎ、今年の暑い夏の最中でも一向に衰える気配がなく、収束が見えない中、コロナ禍での出口戦略を見直す必要が出てきたわけです。After コロナからWith コロナへの転換ですね。真面目にコロナとの共存を考えなくてはいけなくなったわけです。そうしないと経済が回らないので。
その切り札が「ワクチンパスポート」というわけです。確かにワクチンパスポートをうまく利活用できれば、感染拡大を最小限に抑えつつ、停滞した経済を活性化できるというまさに一石二鳥な状態になるわけです。そんなにうまく行くものでもないだろうとは誰しもが思うでしょうが、何もせずに指をくわえているだけでは何も生まれません。試行錯誤の連続になるかもしれませんが、やってみるということが大切だと考えます。
そんな訳で、「ワクチンパスポート」の展開には大いに期待しています。これからも出てくるであろう新型コロナの変異株に翻弄されるかもしれませんし、実装アプリでバグが多発して炎上するかもしれません(プログラマーの方々、ごめんなさい)。でもそれで良いんです。前進と後退を繰り返しながら、中長期的には前進出来たね、と後から見返せるようになると良いなと。政府が強力なイニシアティブをもって推し進めていってくれればと思います。
■ 了